聖徳太子とモノノケ

船橋2


   聖徳太子の事は皆さんご存知ですね。その像が今でも船橋の西福寺にあります。なぜかといいますと江戸時代、講といわれるものがありました。講とは今でいうと互助会と組合を合わせた様なもので、各々が持ち寄ったお金を工面しあったり、また何かの折には宴を開いたりしまいた。その一つ太子講は、大工、左官、鍛冶屋などの職人仲間の講でした。太子講では太子を祭り、絵や像を飾り、その前で宴を開いたといいます。この像はその痕跡なのです。
  実は太子は伝説にも多くの足跡を残しています。例えば空を飛ぶ馬に乗った。人魚に哀願されて寺を建立した。納豆を発明した。日本で最初に富士山に登った等があげられます。
  中でも印象深いのが滋賀県の八日市場に伝わる伝説です。何といっても名前の由来である八日市場が太子の肝いりで始まっております。しかも背景にも妖怪が絡んでいるのです。
  大阪に太子が建立した四天王寺という寺があります。四天王寺は現在まで続く太子信仰の中心ですが、、もともとは戦に勝利した暁に建立すると神仏と約束した特別な寺でした。そのため四天王寺で使う瓦を焼くために、霊験あらたかな土が必要でした。太子はほうぼうを探した挙句、箕作山にその土を見つけます。しかし、その辺りは霊地であるが故に妖怪(精霊)が棲んでおり、迂闇に踏み込める場所ではありませんでした。太子は妖怪たちに「この土地は、妖怪の土地(妖怪地)である事を認める。その代わりに瓦を焼かせて欲しい」と申し出ました。妖怪たちはその条件を呑みました。四天王寺の瓦はこの地の土で焼かれ、八日市は妖怪地という裏の意味を持つ事になったのです。そのためか八日市には今でも多くの妖怪の話が残っています。